はじめまして季ラリです。
当ブログを訪問くださり、ありがとうございます。
はじめましての方ばかりだと思うので、わたしの自己紹介をします。
名前:季ラリ
所在地:東京都23区内(関西出身)
趣味:Youtube、国内旅行、登山
好きな時間:アロママッサージを受けてリラックスしているひととき
わたしは、経理の専門職として働いているいるアラサーサラリーマンです。
毎日数字とにらめっこしながら、一生懸命電卓を叩いています・・・笑
仕事の生産性向上と職務効率化を進めることができたため、現在は定時で仕事を切り上げ、物販副業とブログ運営を併せて行っています。
ほんの7・8年ほど前まで、わたしはどん底な人生を送っていました。
毎日嫌々仕事に行って疲れて寝るだけの毎日でした。
・ただただ言われた仕事だけを淡々とこなす
・指示の意図を理解できず、ミスを重ね上司や先輩に怒られてばかり
・仕事に追われて残業するも、疲れだけがたまって一向に終わらない
・今すぐにでも仕事を辞めたいけど、転職してキャリアアップできる自信がない
・仕事にやりがいがなく毎日がつまらない
・怒られないように気を遣って自分の感情を抑え我慢ばかりしている
これら全ては、過去のわたしのことです。
当ブログでは、
当時のわたしのように、暗闇の中もがき苦しみ、毎日を精一杯生きている日本中のサラリーマンの方々に・・・
辛い時期を乗り越えて、大切な人たちとともに笑顔で前を向いて生きる勇気を持てるように!
という思いを込めて・・・
わたしがこれまでの社会人生活やコミュニティ・教材などで学んだスキルと経験で、あなたらしい働き方を検討するための材料を沢山提供していきます。
生い立ち
幼少期
あまり記憶にありません。笑
ただ、体が弱くよく体調を壊しては入院をして、両親に苦労をかけていたという点はうっすら記憶しています。
小学生時代
低学年の時は特に気が弱く、また運動神経も悪かったので、同じ学年の子達からよく揶揄われて虐められて泣いていました。笑
高学年になって、クラブ活動で卓球を始めてからは友達ができて、楽しい小学校生活を送っていたと思います。
中学生時代
母親が教育ママだったので、1年生の時から名の知れた有名な塾に通っていました。
その甲斐もあり、中学生時代は成績が良く、常にクラスで上位3人くらいには入っていました。
部活動は、中学校でも小学校時代の友達と一緒に3年間卓球部で頑張りました。
高校生時代
中学生時代成績が良かったので地元ではそこそこ名の知れた進学校に入学できましたが、勉強についていけず、高校時代の成績は320人中ずっとビリから10番以内でした。笑
数学が唯一得意だったので、2年生になって理系のクラスに進みましたが、 物理や化学が大の苦手で定期テストで30点以上取れたことはなかったと記憶しています。笑
部活動は引き続き卓球部に所属しました。
通っていた高校は卓球の強豪校であり、チームとして近畿大会にも何度か出場しました。(私は万年補欠でしたが練習は一生懸命頑張りました・・・笑)
理科系の科目の成績があまりに酷かったため、大学進学では理系に進むのをやめて文系の学部を受験しました。
両親から、『バットは振らなきゃ当たらない』というごもっともなアドバイスをもらったこともあり、受験できる大学を片っ端から受験した結果、なんと・・・
奇跡的に、模擬試験E判定だった第一志望の大学に合格しました。
(第一志望の大学以外は、滑り止め受験を含め全て落ちていました・・・笑)
大学生時代
仲良くなった友人がマラソンをやっていたことをきっかけにマラソンを始めました。
月間400キロ以上のトレーニングを継続し、大学4年生の時に走った東京マラソンで、フルマラソンサブスリー(3時間切り)を達成しました。
また、当時お付き合いしていた彼女が簿記を勉強していたことをきっかけに、専門学校とダブルスクールしながら簿記の資格取得に励みました。
大学2年生の時、日商簿記1級に1回で合格したわたしは、もっと上に行ける!と過信をして、税理士の資格取得にチャレンジすることにします。
しかし、これが悲劇の始まりでした。
税理士試験は5つの科目に順番に合格していくことで取得できるのですが、最初の1科目でさえ、大学学在学中に取得することができませんでした。
今考えると、アルバイトをしたり友達と遊んだりしながら軽い気持ちで勉強をしていたので、合格できず当然だったかなと思います。泣
勉強と同時並行で就職活動をするも決まらず、結局両親に頭を下げて専門学校に継続して通い、税理士の資格取得のために専念して勉強することにしました。
専門学校専念・無職時代
あとがなくなったわたしは、専門学校で必死で勉強をして次の年に税理士試験の2科目に合格します。
しかし、大学を卒業して1年経った頃、糸がブチっと切れたようにやる気を喪失してしまいました。
合格できる保証のない中、社会人になれずこの生活をあと何年過ごすのだろう?というこの上ない不安に見舞われ、半鬱状態になってしまいました。
今から思うと、お金を出さず専門学校に通わせてもらっている身分で何を言っているのか?甘えるな!とくらいに思えるものですが、当時の落ち込んだわたしには頑張る元気が残っていませんでした。
結局その次の年は専門学校には通わず、なんちゃって学生から正真正銘の無職となります。
学生時代から継続していたドラッグストアでのアルバイトでお小遣いを稼ぎながらだらだら暮らしていたわたしでしたが、両親からも、『このまま就職しなければ、本当に生きていけなくなるよ』と言われ、ハローワークで就職先を探すこととなりました。
結局、従業員100人以下の零細企業の経理職員として内定が出たため、翌年から働くこととなります。
社会人になってから
就職した会社は経理として従事する職員は、わたしを含めて2名しかいませんでした。
入社したころは、何度も同じミスを繰り返す、そのうえやる気もなく、ただただ生活するためだけに嫌々仕事をしていました。
しかし、そこで出会った直属の経理職の上司の存在がわたしの人生を変えてくれました。
仕事への向き合い方や周りの人達を巻き込むことの大切さ、社会に貢献できることの喜び、
また、職務効率化のスキルとして、ExcelやVBAを使った効率化、マニュアル作成や顧客対応に至るまで色々なことを勉強させていただきました。
そして、キャリアアップを検討していたわたしは、その会社で4年間勤務したのち、従業員5000人超の会社に経理専門職員として採用され、今に至ります。
今こうして社会人として、前向きにやりがいを持って頑張ることができているのは、人生どん底のときに見捨てず支えてくれた家族や友達、また、社会人として頑張るチャンスをくれた会社や職場の皆様のおかげだと思っています。
心から感謝をしていますし、これから色々な形で恩返しをしていきたいと思っています。
わたしがブログを始めた理由
わたしがブログを始めた理由は至って単純です。
それは、当時のわたしのように人生で行き詰まってしまった方々を、一人でも多く救いたいと思ったことです。
人生に疲れてしまった時、人は元気な時には想像できないほど何も考えられなくなってしまいます。そんな時にわたしのブログを読んで、
『もう一回頑張ってみよう!』『現実と向き合ってみよう!』
と勇気を出してもらえるような、皆さんの将来に繋がる記事をたくさん書いていきたいと考えています。
読者の皆さんに伝えたいこと
人生100年時代。長く生きていると良い時も悪い時も必ず来るものです。
また、暗闇の中にいる時は、一歩踏み出すことにこの上ない勇気がいるものです。
そのような時期も、時が経ち後から振り返ってみると、『こんなちっぽけなことで悩んでいたんだ!』と笑い話にできる日が必ず来ます。
辛い時、苦しい時は逃げていいんです。
ゆっくり休んでみてください。
そして、元気を取り戻したら、
『逃』の字の『しんにょう』を『きざし』に変えてみてください。
あなたもきっとまた挑戦することができるようになるでしょう。
(ゴルゴ松本さんの漢字の授業からいただきました・・・)